【読書感想文】『スワロウテイル 人工少女販売処』

 読み始めたらページをめくる手が止まらなくなり、続きを明日に取っておくのがもどかしく、一気に読み終えてしまった。小説を読むのが好きな人なら、そんな作品に出会ったことがあるのではないでしょうか。
 私は幸運にも、そのような作品に出会うことができました。今回ご紹介する、籘真千歳スワロウテイル 人工少女販売処』(ハヤカワ文庫JA)です。

 書店でなんとなく手に取り、「人間ではない存在が人間を見たらどう見えるのかを描いた作品を読むことで、近未来を舞台にしたテーブルトークRPGを遊ぶときの参考にでもなれば……という気持ちで昼下がりに買ってから読み始めたのですが、気がつけばページをめくる手が止まらなくなっていました。夢中になって読んでいるうちに夜は更けました。しかし続きを明日に取っておくことがもどかしく、一気に読み終えてしまったのです。500ページほどもある小説ですが、最後まで一気に読み通すことができました。
スワロウテイル』を読んだこのひとときを、私はきっと忘れないでしょう。
 その喜びや驚きを少しでも伝えたいと思い、この文章を書くことにしました。
 なお、私はSF小説を読んだのは『スワロウテイル』シリーズが2つ目で、SFというジャンルにはアニメや映画で少し触れたくらいです。なので他のSFと比べてどうこうと論じる力はありませんが、少しでも魅力を掘り下げることができたら嬉しく思います。

 読み始めると、未来の世界をそこにあるかのように描き出す描写にまず目を惹かれました。作品はこのような書き出しで始まります。

「エレベーターを出ると床がなかった。
 遥か八百メートル足下の遠い区画は、しかし一立方センチメートルあたりの指の数ほどの煤煙もカビ胞子もない大気を透してシャープネスを施され、異様なリアルさで陽平の眼底に不躾に飛び込んでくる。そこに住み暮らす六万五千の人間男性と八万超の人間以外の人いきれが服に髪に染みついてくるようにすら思えた。」

 これが『スワロウテイル』の舞台、東京湾に浮かぶ人工島、〈東京自治区〉です。世界では謎の疫病が発生、感染者はその人工島に隔離され、男女別に分かれて生活しています。人間達のパートナーとなるのは、人間と同じ姿をした人工生物〈人工妖精(フィギュア)〉。
 主人公の揚羽も、その〈人工妖精〉の一人です。彼女は「黒の五等級」と渾名される、謎の〈人工妖精〉。全ての〈人工妖精〉は等級認定を受けますが、揚羽だけはある理由で等級認定が受けられなかったのです。ある事件を追っていた揚羽が、〈人工妖精〉置名草(おきなぐさ)に出会うところから、物語は加速し始めます。

 近未来を舞台にしたSFとしては、『スワロウテイル』は際立った特徴を持っていると思います。〈東京自治区〉は暴力と貧困が支配する無秩序の街でもなければ、いつも酸性雨が降っている陰鬱な街でも、コンピュータに管理された近未来都市でも、虐殺の繰り広げられている紛争地帯でもありません。
 街は常に清潔、仕事をしなくても暮らしていける程の充実した福祉。無限に食料を生成するシステムがあるから食べ物の心配もなく、高度に発達した医療技術のおかげで健康の気遣いもありません。犯罪は激減、治安はきわめて良好。〈人工妖精〉のおかげでパートナーにも困りません。
スワロウテイル』のすごいところは、そんな街を舞台にしているのに、緊張感あふれる「近未来の冒険」を描いていることだと思います。

〈東京自治区〉に住む人々の暮らしを支えているのが、〈蝶型微細機械群体(マイクロマシン・セル)〉。文字通り蝶の形をした超小型機械。自動的に空気を浄化し、ゴミを分解するだけではなく、微細機械を集めて人間の体の部品も作ることができます。手足や目や内臓を失う心配は、もうありません。そして他ならぬ〈人工妖精〉を形作っているのも微細機械です。

 しかしながら『スワロウテイル』で最も大事なことは、設定の細かさよりも物語展開ではないかと思います。うっかりすると設定の細かさや情報量に目を奪われがちです。それは実際、精緻に練り上げられ、かつ「これがセンス・オブ・ワンダーというものか」という驚きに満ち、人間とは何かを考えるヒントを与えてくれます。「これがSFというものか」という醍醐味を味わわせてくれるほどの素晴らしいものです。

 ですが読者の興味は、揚羽の運命であり、世界設定はその背景でしょう。
スワロウテイル』の世界はある危機に直面しており、それは揚羽の悩み「自分に価値などない」とリンクしているのではないかと思います。揚羽がその悩みを克服したとき、世界もまたその危機に抗うための「乱数」を手に入れる。
 また『スワロウテイル』では揚羽が養母であり師匠でもある紫藤鏡子(しとう・きょうこ)と、人間が物事を認識するのはどういうことか、という問答を繰り広げたり、ある理由で世界を正常に認識できなくなった人工妖精が登場したりします。

 それらのことと、揚羽の自己に対する評価から浮かび上がってくるのは「どのような現実認識であっても幻想の要素が入り込まざるを得ない」ということであり、ラストシーンが示唆するのは「そのような世界に立ち向かっていくには、幻想を主体的に持つこと」ではないでしょうか。
 主人公の心情と密接に結びついた世界設定。それは「設定のための設定」「SFのためのSF」ではなく、物語のためのSFではないかと思います。

 ネタバレは避けて書いたつもりですが、ラストシーンについてだけはどうしても記したいことがあります。これまで揚羽に向けられてきたマイナスの評価が全てプラスに転じるという大逆転の仕掛けが施されており、とても心地よく、温かい気持ちになったことを。

 また〈東京自治区〉に描かれた組織や集団、そして総督の描写を丹念に拾っていけば、「日本とは何か」という問いかけが奥底に潜んでいることにも気づくでしょう。

スワロウテイル』は「こうすべきだ」と指し示さないし、「敵はこいつだ」とはっきり名指しすることもありません。だから「売りにくい」作品なのかも知れません。しかし作品にこめられた「人間とは何か」という問いに対する洞察と、「物語のためのSF」である点はもっと評価されるべきものではないかと思います。

スワロウテイル』は決して「読みやすい」作品ではないと思います(私は一気に読みきってしまいましたが、私のような人間が一般的とは言えないでしょう)。最初の巻だけではなく、続編も含めた全4冊の全てが、500ページ近くのボリュームあふれる作品です。しかも一部のライトノベルのように、一行ごとに改行しているので行数が増えている(だからページ数の割に空白が多い)というタイプの作品ではなく、一つ一つのページに文章がしっかりと詰め込まれています。その上、情報量と理屈っぽさという特徴があります。
 しかしそれを読み通せば、「読書した」という実感が得られるでしょうし、緩急自在・波瀾万丈の物語を堪能し、揚羽の冒険を通じて「人間とは何か」「幸せとは何か」を一緒に考えることができるでしょう。
 小説が小説である魅力や醍醐味が詰まった作品、愚直かつ地道に作られた作品。それが『スワロウテイル』なのです。